2010年 02月 08日
バッハ音律で聴く「植物文様クラヴィーア曲集」06〜プログラムノート |
明日(2/9)、バッハ音律で聴く「植物文様クラヴィーア曲集」の公演です。今回は、初演曲が3つ、東京での初演曲が7つです。1996年の「第五集」から2009年までの作品が並ぶことになりました。明日配布するプログラムノートもプレビューとして、以下に公開します。
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■バッハ音律で弾く「植物文様クラヴィーア曲集」に寄せて
藤枝守
「音律」という楽語は、英語にするときに「tuning〜チューニング」と「temperament〜テンペラメント」の二つの用語が必要になってくる。この二つの異なる概念や実践方法が日本語では「音律」という楽語に封じ込められていたために、さまざまな問題や混乱が生じてきた。すこし整理しておくと、チューニングとは「合わせる」ことであり、テンペラメントとは「整える」、あるいは「加減する」ことを意味する。ここで重要なのは、「合わせられた(tuned)」音程、すなわち純正音程を「整える(tempered)」というプロセスの必要性が、鍵盤楽器のもつ限られた鍵盤の配列から生じたという点である。
西欧において17世紀以降、鍵盤楽器が中心的な役割を担うことになるにつれて、鍵盤の配列に適応した音程を調整(すなわち、テンペラメント)する技術が求められるようになる。そして、じつにさまざまなテンペラメントの方法が考案されたのである。もしも、西欧において鍵盤楽器が主流にならなかったら、テンペラメントの技術も必要とされなかったであろうし、その結果、西欧において、まったく異なる音楽スタイルの歴史が刻まれていたであろう。
鍵盤楽器の出現がテンペラメントの調律上の手続きをもたらしたという背景において、バッハの《Well-Tempered Clavier》が18世紀に登場した意味は大きい。なぜ、バッハは、テンペラメントの手続きと楽器を曲名として記したのか。さらに、この曲目が「平均律」という誤った調律法で呼ばれることによって、近代音楽は、音律において、混迷の時代のなかで展開することになる。近代以音楽を振り返るうえでも、《Well-Tempered Clavier》の成立や位置づけに着目することは重要だと思う。
この曲集の直筆楽譜の表紙に描かれた渦巻き文様がテンペラメントの解読につながるという学説をきいたとき、私自身、興奮をおぼえた。2005年の「アーリー・ミュージック」誌に掲載された音楽学者でチェンバロ奏者のB・レーマンによる「バッハの驚くべきテンペラメント」という論文は、この渦巻き文様のなかにバッハ自身による独自なテンペラメントの方法が隠されていることを明らかにしている。このバッハによる音律は、さまざまなテンペラメントが考案された時代の産物であり、平均律へ移行する前段階としての特徴を兼ね備えている。
このバッハ音律(通称)がもつ音程的な構造をバッハの音楽ではなく、《植物文様クラヴィーア曲集》という楽曲に適用してみることによって、バッハ音律に内包された微妙な音程の配列がどのような抑揚と調性感をもった響きを生みだしていくのか、このような大胆な試みを実践しようと思った。その試みの背景には、音律という思考が、たんに過去の音楽に対しての時代考証というレベルではなく、作曲というアクチュアルな領域のなかで、平均律以降の音楽実践の方向を明らかにするためである。
今回の公演では、《植物文様クラヴィーア曲集》から24曲が選ばれ、12曲づつの2つのセットが砂原悟さんのチェンバロにより演奏される。前半の12曲セットは、五度圏の配列による曲順になっており、調号がない楽曲から始まって、シャープが一個づつ増え、フラット系に切り替わってからは調号が一個づつ減りながら調号がない調にもどる。また、後半の12曲セットでは、バッハの《Well-Tempered Clavier》のように半音づつ主音が上行するような曲順にしたがっている。こうすることによって、1個づつ音高が入れ替わっていく五度圏の配列とは違ってダイナミックな音調の変化が期待される。まさに、バッハ音律という「テンペラメントの糸」にしたがって、《植物文様》の楽曲が二通りに編み込まれていくである。
なお、バッハ音律に関する詳しい説明は、拙書『響きの考古学』(平凡社ライブラリー)から抜粋したものを配布いたします。参考にしていただけたら幸いです。
■バッハ音律で聴く「植物文様クラヴィーア曲集」公演サイト
■チケット購入サイト
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■バッハ音律で弾く「植物文様クラヴィーア曲集」に寄せて
藤枝守
「音律」という楽語は、英語にするときに「tuning〜チューニング」と「temperament〜テンペラメント」の二つの用語が必要になってくる。この二つの異なる概念や実践方法が日本語では「音律」という楽語に封じ込められていたために、さまざまな問題や混乱が生じてきた。すこし整理しておくと、チューニングとは「合わせる」ことであり、テンペラメントとは「整える」、あるいは「加減する」ことを意味する。ここで重要なのは、「合わせられた(tuned)」音程、すなわち純正音程を「整える(tempered)」というプロセスの必要性が、鍵盤楽器のもつ限られた鍵盤の配列から生じたという点である。
西欧において17世紀以降、鍵盤楽器が中心的な役割を担うことになるにつれて、鍵盤の配列に適応した音程を調整(すなわち、テンペラメント)する技術が求められるようになる。そして、じつにさまざまなテンペラメントの方法が考案されたのである。もしも、西欧において鍵盤楽器が主流にならなかったら、テンペラメントの技術も必要とされなかったであろうし、その結果、西欧において、まったく異なる音楽スタイルの歴史が刻まれていたであろう。
鍵盤楽器の出現がテンペラメントの調律上の手続きをもたらしたという背景において、バッハの《Well-Tempered Clavier》が18世紀に登場した意味は大きい。なぜ、バッハは、テンペラメントの手続きと楽器を曲名として記したのか。さらに、この曲目が「平均律」という誤った調律法で呼ばれることによって、近代音楽は、音律において、混迷の時代のなかで展開することになる。近代以音楽を振り返るうえでも、《Well-Tempered Clavier》の成立や位置づけに着目することは重要だと思う。
この曲集の直筆楽譜の表紙に描かれた渦巻き文様がテンペラメントの解読につながるという学説をきいたとき、私自身、興奮をおぼえた。2005年の「アーリー・ミュージック」誌に掲載された音楽学者でチェンバロ奏者のB・レーマンによる「バッハの驚くべきテンペラメント」という論文は、この渦巻き文様のなかにバッハ自身による独自なテンペラメントの方法が隠されていることを明らかにしている。このバッハによる音律は、さまざまなテンペラメントが考案された時代の産物であり、平均律へ移行する前段階としての特徴を兼ね備えている。
このバッハ音律(通称)がもつ音程的な構造をバッハの音楽ではなく、《植物文様クラヴィーア曲集》という楽曲に適用してみることによって、バッハ音律に内包された微妙な音程の配列がどのような抑揚と調性感をもった響きを生みだしていくのか、このような大胆な試みを実践しようと思った。その試みの背景には、音律という思考が、たんに過去の音楽に対しての時代考証というレベルではなく、作曲というアクチュアルな領域のなかで、平均律以降の音楽実践の方向を明らかにするためである。
今回の公演では、《植物文様クラヴィーア曲集》から24曲が選ばれ、12曲づつの2つのセットが砂原悟さんのチェンバロにより演奏される。前半の12曲セットは、五度圏の配列による曲順になっており、調号がない楽曲から始まって、シャープが一個づつ増え、フラット系に切り替わってからは調号が一個づつ減りながら調号がない調にもどる。また、後半の12曲セットでは、バッハの《Well-Tempered Clavier》のように半音づつ主音が上行するような曲順にしたがっている。こうすることによって、1個づつ音高が入れ替わっていく五度圏の配列とは違ってダイナミックな音調の変化が期待される。まさに、バッハ音律という「テンペラメントの糸」にしたがって、《植物文様》の楽曲が二通りに編み込まれていくである。
なお、バッハ音律に関する詳しい説明は、拙書『響きの考古学』(平凡社ライブラリー)から抜粋したものを配布いたします。参考にしていただけたら幸いです。
■バッハ音律で聴く「植物文様クラヴィーア曲集」公演サイト
■チケット購入サイト
by mamorufujieda
| 2010-02-08 20:51
| 公演/イベント