2010年 08月 06日
田中正平の純正調オルガン |
7/31と8/1に神戸のCAP HOUSEにてモノコードの製作ワークショップと音律のレクチャーを行なったが、神戸に行くまえに京都に立ち寄って田中正平が作った、あの伝説的な「純正調オルガン」に初めて対面。純正調オルガンは、当時、5台製作されたとのこと。現存するのは4台。その一台が京都女子大学に保管されている。今回は、特別の配慮のもと、その純正調オルガンを見学、実際に音を出してみた。
田中正平は、明治時代にドイツで留学。ヘルムホルツのもとで音響学、とくに純正調を研究したといわれ、その理論を具現化した純正調オルガン(エンハーモニウム)を完成。ドイツでも絶賛されたという伝説がいまでも語り継がれている。昨年だったか、BSの番組で田中正平のドイツでの足跡を追う番組をみたが、ドイツという遠い異国の地で純正調にめざめ、さまざまな苦難のなかで純正調オルガンを完成させ、当時のドイツ皇帝から絶賛されるという話しが展開していた。
京都女子大学の錦華殿という歴史的な建造物の一角に、長年、純正調オルガンは設置されていたが、ほとんど弾かれることがなく、今回の見学は、久々にオルガンからの響きを体験する機会だったとのこと。木目が美しい重厚な外観とともに、まずは興味をひくのが、その鍵盤の配列。おそらく田中正平が考え抜いて考案したと思われる分割鍵盤のデザインは、練習を重ねればけっして演奏は難しくないように思われる。また、鍵盤まるごとシフトさせて移調する機能など、さまざまな工夫が詰まった楽器であることは一目。僕自身も、慣れない鍵盤のうえでかんたんなコラールを演奏してみたが、オルガンが生みだす純正音程の響きは、とても耳に馴染み、その深い音調は、いまの時代にも十分な説得力をもっていることは確か。
100年以上もまえに、なぜ、一人の日本人研究者が純正調に魅力をいだき、長年にわたって、その響きを実現できるオルガンの製作に一生を費やしたのか。たしかに、平均律に背を向けて屈強な人生を全うしたハリー・パーチの足跡と重なる点の多いのだが、その決定的な西欧への意識かもしれない。キリスト教的な教義を一切拒絶したパーチ。ところが田中正平の場合は、平均律がもたらした低下した響きに対処すべく、かつて西欧が保持してきた純正調のもつ響きの強度を蘇らせるために、純正調オルガンの製作に尽力したのであろう。パーチと田中正平、ともに近代合理主義の危険を感じながらも、まったく異なった方向を目指していったように思われる。
分割鍵盤を接写
田中正平は、明治時代にドイツで留学。ヘルムホルツのもとで音響学、とくに純正調を研究したといわれ、その理論を具現化した純正調オルガン(エンハーモニウム)を完成。ドイツでも絶賛されたという伝説がいまでも語り継がれている。昨年だったか、BSの番組で田中正平のドイツでの足跡を追う番組をみたが、ドイツという遠い異国の地で純正調にめざめ、さまざまな苦難のなかで純正調オルガンを完成させ、当時のドイツ皇帝から絶賛されるという話しが展開していた。
京都女子大学の錦華殿という歴史的な建造物の一角に、長年、純正調オルガンは設置されていたが、ほとんど弾かれることがなく、今回の見学は、久々にオルガンからの響きを体験する機会だったとのこと。木目が美しい重厚な外観とともに、まずは興味をひくのが、その鍵盤の配列。おそらく田中正平が考え抜いて考案したと思われる分割鍵盤のデザインは、練習を重ねればけっして演奏は難しくないように思われる。また、鍵盤まるごとシフトさせて移調する機能など、さまざまな工夫が詰まった楽器であることは一目。僕自身も、慣れない鍵盤のうえでかんたんなコラールを演奏してみたが、オルガンが生みだす純正音程の響きは、とても耳に馴染み、その深い音調は、いまの時代にも十分な説得力をもっていることは確か。
100年以上もまえに、なぜ、一人の日本人研究者が純正調に魅力をいだき、長年にわたって、その響きを実現できるオルガンの製作に一生を費やしたのか。たしかに、平均律に背を向けて屈強な人生を全うしたハリー・パーチの足跡と重なる点の多いのだが、その決定的な西欧への意識かもしれない。キリスト教的な教義を一切拒絶したパーチ。ところが田中正平の場合は、平均律がもたらした低下した響きに対処すべく、かつて西欧が保持してきた純正調のもつ響きの強度を蘇らせるために、純正調オルガンの製作に尽力したのであろう。パーチと田中正平、ともに近代合理主義の危険を感じながらも、まったく異なった方向を目指していったように思われる。
分割鍵盤を接写
by mamorufujieda
| 2010-08-06 12:19
| 近況