2011年 02月 08日
モートン・フェルドマンのこと |
2月10日に筥崎現代音楽祭で河合拓始さんのピアノでフェルドマンのピアノ作品が演奏されますが、その参考になればと思い、以前、『響きの生態系』(藤枝守著、フィルムアート社)に掲載されたフェルドマンについての文章を紹介します。
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対位法の記憶〜モートン・フェルドマンとの出会い
藤枝守
フェルドマンと最初に会ったのは、一九八五年秋のロサンジェルスで開かれた<ニュー・ミュージック・アメリカ>というフェスティバルの時であった。フェルドマンの新作《ピアノと弦楽四重奏》が、高橋アキさんとクロノス・カルテットによって初演されるというので、サンディエゴから駆けつけたおぼえがある。美しい響きを湛えた和音が、静かなうちにそのかたちを変えながら、一時間半という時間の中で漂いながら終始する、そんな曲であった。コンサートが終わって、夕食をとるためダウンタウンの中華街へ、フェルドマンやアキさん、それに湯浅譲二夫妻らとともに向かったのだが、そのときは、フェルドマンから教えを受けるということは考えてもみなかった。
長年、ニューヨーク州立大学バッファロー校で教えていたフェルドマンが、僕の在籍していたカリフォルニア大学サンディエゴ校に客員教授としてむかえられたのは、一九八七年の一月であった。一学期間だけという短いあいだではあったが、毎週一回、フェルドマンから受けた個人レッスンは、僕にとってひじょうに新鮮な出来事であった。
最初のレッスンで、フェルドマンは、いきなり「ぼくは、これからアドバイスをするけれど、それは君の考えをクリアにするどころか、混乱させるかもしれない。人間はものを知ればそれだけ混乱するものなんだよ」と前置きした。そして、僕の楽譜を丹念に見た後、僕の曲に対位法がないと指摘したのである。ここでいう対位法とは、伝統的なものを示しているのではなく、音の関係性そのもののことを意味している。フェルドマンは、音をつないでいくうえで、いかに並行、反行、斜行という対位法の三つの原則に留意していかなければならないかを、さまざまに言葉を変えながら、メタフォリカルに語ってくれた。そんな折り、ふと口についた対位法についての一節を、フェルドマンは気に入ってようで、三、四度それを繰り返しながら、僕の楽譜のすみに「対位法とは、線的構造との関係で説明されうるものではなく、ただ音と音を基準として表示されうるものである」と書き記してくれた。
フェルドマンの音楽のなかには、このような対位法的な局面が、スタティックな状態でしばしばあらわれている。とくに、最近の曲の楽譜を手にとって眺めてみると、そこには、対称/非対称、反復、並置、置換といった織物にみられるパターンの原理も作用していることがわかる。フェルドマン自身、絨毯の蒐集家として知られているが、このように文様パターンの原理が実際の音楽のなかに入り込んでいるのである。しかし、そればかりでなく、絨毯の制作プロセスも、フェルドマンの作曲プロセスと何らかの関係をなしている。
ペルシャの絨毯のように、全体のパターンを参照しながら部分を仕上げていくのと違って、トルコの絨毯では、部分をひとつひとつ仕上げてゆく。この過程で、出来上がった部分を、次々とこれからはじめる新しい部分の下に折り込ませていくため、全体のパターンを鳥瞰することができない。つまり、出来上がった部分のパターンの記憶が、何らかのかたちで、次の部分の新たなるパターンを生みだすのに関与してくるのである。フェルドマンの音楽においても、このトルコの絨毯の制作プロセスのように、各部分は、ひとつの方向性をもって組織化されるのではなく、記憶という曖昧性が部分の間に介在することで、不連続でかつ柔軟な全体が形づくられる。フェルドマン自身、このような方法のことを「記憶の非方向性の形式化という意識的な試み」だと言っている。実際に、《トライアディック・メモリーズ》というピアノ作品でも、このような「意識的な試み」が実践されている。
フェルドマンは、しばしばレッスンやレクチャーのなかで、「楽器のイメージ」という言葉を使った。楽器という素材が、フェルドマンの音楽にとって最も重要なもののひとつであるということは、《ピアノ》《ピアノ、ヴァイリン、ヴィオラ、チェロ》など、使用する楽器自体の名前が、そのままタイトルとなっていることからもうかがえる。どの楽器のどの音域を使うのか、どのように組み合わせるのかというオーケストレーションの問題に、フェルドマンは最大の関心をはらっていた。しかし、どの楽器の組み合わせがうまく溶け合うかといった効果としてのオーケストレーションとは区別しなくてはならない。フェルドマンは、素材としての楽器の音をひとつひとつ吟味しながら、盛りつけていくように「楽器のイメージ」を生みだしていった。その「楽器のイメージ」は、その曲を聴き終えたあとでも、なお深く耳の奥に焼きつく。
フェルドマンの近年の音楽は、持続時間がきわめて長くなる傾向にあった。一時間位の長さは極く普通であり、《弦楽四重奏第二番》や《クリスチャン・ウォルフのために》などは、四時間あまりの長さがある。このような長い時間の中で、特徴的なパターンが不連続に、そして反復的に現われたり、「楽器のイメージ」が浮遊するのである。このような作品の長大化は、音楽の時間的方向性を曖昧なものにするひとつの大きな要因となっているが、それは、また聴く側の姿勢とも大きく関わっている。つまり、ある程度の長さまでは、様々の音楽的素材をひとつのまとまりある全体の中で、位置づけや関連性を見いだしながら把握して聴くことができる。しかし、長さがそれ以上になってくると、各素材は、全体性という束縛から解放され、聴く側も、素材やその瞬間その瞬間に継起する音の関係に集中できるのである。
「来年、またここに来るから、そのとき、レッスンの続きをやろう」と言い残してフェルドマンがサンディエゴを後にしたのは、一九八七年の三月半ばころであった。その後、バッファローの病院にフェルドマンが入院しているという話はきいていたものの、その年の九月三日、フェルドマンが亡くなったという突然の悲報は、僕をはじめ多くの人たちに大きな衝撃を与えた。折しも、九月五日から、ロサンジェルスでは、ジョン・ケージの七十五歳を祝うフェスティバル「ケージ・セレブレイション」が開かれたばかりであった。フェルドマンもこのフェスティバルに駆けつけ、ケージの多数の曲をコラージュした《ミュージサーカス》というパフォーマンスのなかで、《ドリーム》という短いピアノ曲を弾くことになっていた。当日、配られたプログラムの変更を知らせるちらしのなかに、「だれもモートン・フェルドマンの代わりはできない」という一文が書き添えてあった。
(『響きの生態系』(フィルムアート社)より
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対位法の記憶〜モートン・フェルドマンとの出会い
藤枝守
フェルドマンと最初に会ったのは、一九八五年秋のロサンジェルスで開かれた<ニュー・ミュージック・アメリカ>というフェスティバルの時であった。フェルドマンの新作《ピアノと弦楽四重奏》が、高橋アキさんとクロノス・カルテットによって初演されるというので、サンディエゴから駆けつけたおぼえがある。美しい響きを湛えた和音が、静かなうちにそのかたちを変えながら、一時間半という時間の中で漂いながら終始する、そんな曲であった。コンサートが終わって、夕食をとるためダウンタウンの中華街へ、フェルドマンやアキさん、それに湯浅譲二夫妻らとともに向かったのだが、そのときは、フェルドマンから教えを受けるということは考えてもみなかった。
長年、ニューヨーク州立大学バッファロー校で教えていたフェルドマンが、僕の在籍していたカリフォルニア大学サンディエゴ校に客員教授としてむかえられたのは、一九八七年の一月であった。一学期間だけという短いあいだではあったが、毎週一回、フェルドマンから受けた個人レッスンは、僕にとってひじょうに新鮮な出来事であった。
最初のレッスンで、フェルドマンは、いきなり「ぼくは、これからアドバイスをするけれど、それは君の考えをクリアにするどころか、混乱させるかもしれない。人間はものを知ればそれだけ混乱するものなんだよ」と前置きした。そして、僕の楽譜を丹念に見た後、僕の曲に対位法がないと指摘したのである。ここでいう対位法とは、伝統的なものを示しているのではなく、音の関係性そのもののことを意味している。フェルドマンは、音をつないでいくうえで、いかに並行、反行、斜行という対位法の三つの原則に留意していかなければならないかを、さまざまに言葉を変えながら、メタフォリカルに語ってくれた。そんな折り、ふと口についた対位法についての一節を、フェルドマンは気に入ってようで、三、四度それを繰り返しながら、僕の楽譜のすみに「対位法とは、線的構造との関係で説明されうるものではなく、ただ音と音を基準として表示されうるものである」と書き記してくれた。
フェルドマンの音楽のなかには、このような対位法的な局面が、スタティックな状態でしばしばあらわれている。とくに、最近の曲の楽譜を手にとって眺めてみると、そこには、対称/非対称、反復、並置、置換といった織物にみられるパターンの原理も作用していることがわかる。フェルドマン自身、絨毯の蒐集家として知られているが、このように文様パターンの原理が実際の音楽のなかに入り込んでいるのである。しかし、そればかりでなく、絨毯の制作プロセスも、フェルドマンの作曲プロセスと何らかの関係をなしている。
ペルシャの絨毯のように、全体のパターンを参照しながら部分を仕上げていくのと違って、トルコの絨毯では、部分をひとつひとつ仕上げてゆく。この過程で、出来上がった部分を、次々とこれからはじめる新しい部分の下に折り込ませていくため、全体のパターンを鳥瞰することができない。つまり、出来上がった部分のパターンの記憶が、何らかのかたちで、次の部分の新たなるパターンを生みだすのに関与してくるのである。フェルドマンの音楽においても、このトルコの絨毯の制作プロセスのように、各部分は、ひとつの方向性をもって組織化されるのではなく、記憶という曖昧性が部分の間に介在することで、不連続でかつ柔軟な全体が形づくられる。フェルドマン自身、このような方法のことを「記憶の非方向性の形式化という意識的な試み」だと言っている。実際に、《トライアディック・メモリーズ》というピアノ作品でも、このような「意識的な試み」が実践されている。
フェルドマンは、しばしばレッスンやレクチャーのなかで、「楽器のイメージ」という言葉を使った。楽器という素材が、フェルドマンの音楽にとって最も重要なもののひとつであるということは、《ピアノ》《ピアノ、ヴァイリン、ヴィオラ、チェロ》など、使用する楽器自体の名前が、そのままタイトルとなっていることからもうかがえる。どの楽器のどの音域を使うのか、どのように組み合わせるのかというオーケストレーションの問題に、フェルドマンは最大の関心をはらっていた。しかし、どの楽器の組み合わせがうまく溶け合うかといった効果としてのオーケストレーションとは区別しなくてはならない。フェルドマンは、素材としての楽器の音をひとつひとつ吟味しながら、盛りつけていくように「楽器のイメージ」を生みだしていった。その「楽器のイメージ」は、その曲を聴き終えたあとでも、なお深く耳の奥に焼きつく。
フェルドマンの近年の音楽は、持続時間がきわめて長くなる傾向にあった。一時間位の長さは極く普通であり、《弦楽四重奏第二番》や《クリスチャン・ウォルフのために》などは、四時間あまりの長さがある。このような長い時間の中で、特徴的なパターンが不連続に、そして反復的に現われたり、「楽器のイメージ」が浮遊するのである。このような作品の長大化は、音楽の時間的方向性を曖昧なものにするひとつの大きな要因となっているが、それは、また聴く側の姿勢とも大きく関わっている。つまり、ある程度の長さまでは、様々の音楽的素材をひとつのまとまりある全体の中で、位置づけや関連性を見いだしながら把握して聴くことができる。しかし、長さがそれ以上になってくると、各素材は、全体性という束縛から解放され、聴く側も、素材やその瞬間その瞬間に継起する音の関係に集中できるのである。
「来年、またここに来るから、そのとき、レッスンの続きをやろう」と言い残してフェルドマンがサンディエゴを後にしたのは、一九八七年の三月半ばころであった。その後、バッファローの病院にフェルドマンが入院しているという話はきいていたものの、その年の九月三日、フェルドマンが亡くなったという突然の悲報は、僕をはじめ多くの人たちに大きな衝撃を与えた。折しも、九月五日から、ロサンジェルスでは、ジョン・ケージの七十五歳を祝うフェスティバル「ケージ・セレブレイション」が開かれたばかりであった。フェルドマンもこのフェスティバルに駆けつけ、ケージの多数の曲をコラージュした《ミュージサーカス》というパフォーマンスのなかで、《ドリーム》という短いピアノ曲を弾くことになっていた。当日、配られたプログラムの変更を知らせるちらしのなかに、「だれもモートン・フェルドマンの代わりはできない」という一文が書き添えてあった。
(『響きの生態系』(フィルムアート社)より
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by mamorufujieda
| 2011-02-08 08:45
| 筥崎現代音楽祭