2008年 10月 15日
ニューヨーク、西海岸バークレーを巡って |
10月8日にニューヨークに着き、そのまま、ジャパン・ソサエティでの「Gagaku Revolusion: New Sounds of Ancient Bamboo」のワークショップに参加。石川高さん、中村仁美さん、笹本武志さんによって、笙、篳篥、龍笛の初歩的な演奏の実習が行われたのですが、楽器がいくつもあって、わざわざ日本から持ってきたのかなと思ったら、それらの楽器はコロンビア大学が所有しているとのこと。参加者たちは、とても熱心。そのあと、かんたんなパネル・ディスカッションがあり、このような古来の伝統楽器への作曲の意味を問われたりしました。
次の日は、TZADIKのプロデューサーで実質的にこのレーベルを切り盛りしているスギヤマさんのお宅にリリースされたばかりの《Patterns of Plants II》のCDを受け取りにいきました。じつは、スギヤマさんとは、その前日、ニューヨークJFK空港で初めてお会いしたのですが、それは、スギヤマさんのお母様がニューヨーク観光に来られ、偶然、同じ日本からのフライトだったのです。
ソーホーにあるスギヤマさんのアパートにおじゃますると、玄関そばの納戸やリビングにはTZADIKのCDのパッケージが積み上げられていました。まさにCDに占領されている感じ。もう30年以上もニューヨーク生活とのこと。話題が出身校の話におよんで、中学がともに練馬区内で、どうも僕と隣の学区だったようです。奥様もいらしたのですが、奥様は自由学園出身。なぜかつながるのです。
コンサートは10日にあり、僕の《植物文様第四集》のバイオリンと笙のヴァージョンが石川さんと木村まりさんによって演奏されました。笙の響きのうえにバイオリンのノン・ヴィブラートの音によるフレーズが重なりながら、2分ほどの4つの短いパターンが演奏されましたが、僕自身、なぜか俳句を詠っているような印象を受けました。これは初めてのことでした。2人の演奏の緊張感が会場全体を包んでいるようでした。コンサートが終わってから、NY在住の日本のアーティストは、2人の演奏家の姿が植物のように映ったというのです。たしかに、石川さんの笙を手にもつ姿は、遠くからみると微動だにしません。木村さんの抑制のきいてボウイングもとてもしなやかにみえました。
木村さんとは初めてでしたが、鈴木理恵子さんと同じ年代でともに桐朋出身とか。すごく鋭敏な感覚の持ち主でした。午前中にゲネプロがあったのですが、そのとき木村さんと話しているうちに、「私、実際のバイオリンの音より一オクターブ低い音が出せるのよ」とのこと。実際にデモンストレーションをしてもらいました。弓をやや寝かせるようにして、ギィーっという感じで弦にプレッシャーを与えると、たしかに実際の音よりオクターブ低い音がきこえてくるのです。なにか「だみ声」のような響きなんですが、弦と弓との関係に特異な身体的な作用が加わって、このような音響現象が起こるようですが、まだ、科学的に解明されてないとのこと。コンサートの後半は、三人の作曲家による委嘱作が並んだのですが、日系の作曲家のケン・ウエノ君のは、笙、篳篥、龍笛の響きの微細な変容が面白かったけど、あとは楽器のオリエンタリズムのなかで終始した感じでした。
終演後は、いろんな作曲家が来てて、ラファエル・モステルに久しぶりに再会。スコット・ジョンソンとも話しました。ペメラZもいましたね。さらに、ここでもパネル・ディスカッション。でも、観客も多く残っていて、ほんとに熱心に質問するんです。このコンサートには、僕のTZADIKのCDが会場で販売されていたのですが、よく売れたとのこと。新譜のCDの先行きを暗示してくれればいいのですがーー。
ジャパン・ソサエティのコンサートにジョン・ゾーンが来るといったのですが、どうも忙しかったようで現れませんでした。コンサートの次の日の朝、ジョンにもし、時間があったら会えますかとメールを送ったら、すぐに返信。お昼に会うことに。じつは、今回、ニューヨークを訪れようと思ったのは、ジャパン・ソサエティの公演があったからというだけではなく、ジョンも久しぶりに会いたかったし、今回のCDリリースのお礼も直接言いたかったからなんです。Third Aveにあるセントマークスという本屋で待ち合わせ、近くのワシントンスクエアの公園でいろいろと話しているうちに、また、近いうちに《Patterns of Plants》のCDを出そうということにーー。別れ際に、今晩、コンサートあるけど来るということで夜、また、その同じ本屋で待ち合わせることに。でも、そのときは、どんなコンサートなのかよくわかってなかったんです。
ジョンと別れたあと、以前から約束してた作曲家で批評家のカイル・ガンKyle Gannに会うためにグリニッジ・ヴィレッジにある「Elephant and Castle」というレストランに向かいました。「象と城」という変わった名前は、17世紀のイギリスのチャールズ一世とスペインの王女the Enfanta de Castileとの破談の話が由来しているのこと。そこのオムレツはなかなかでした。ヴィレッジ・ヴォイス誌で長年、辛口の批評家で有名だったガンは、いまは、バード・カレッジで教えながら作曲や執筆活動を続けています。とくにナンカロウの詳細な分析の著作があり、ガン曰く、批評家はもともと音楽理論に弱いと思われがちだったが、このナンカロウの本でその通念を覆したかったとのこと。それと、純正調などのあらたな音律を積極的に紹介したり、自ら実践しています。僕が会いたかったのも、そのへんの音律のことをききたかったし、また、ピアニストのサラ・ケイヒルの友人だったので、会ってみたかったのです。
ガンとの話は、音律のことが中心。僕の平凡社の「響きの考古学」を差し上げたのですが、とうぜん、テキストは日本語なので、めくるだけですが、音律を説明するダイアグラムのところでは頷きながらみてました。いま、ガンは音律をテーマにした本を書く計画があるとのこと。これからの情報交換を約束しました。そのときに、TZADIKからのCDとクラヴィコードのCDをガンに差し上げました。ガンからも2枚のCDをもらいましたが、そのひとつは、ヤマハ製のディスクラヴィーアによるもので、ウェル・テンペラメントの「ヤング」に調律しているとか。そのCDのカバーは、収録曲の楽譜のイメージですが、ナンカロウのプレイヤーピアノのためのピアノロールのようでした。聴くのか楽しみ。ガンから後日、僕のCDのコメントを記したメールが届きました。とても好意的なので、うれしかった。それと、あのレストランでウエイトレスに撮ってもらった写真データを送ってほしいとのことでした。ブログに掲載したいとのこと。さっき、ガンのブログにアクセスしたら、われわれが会ったときのことや写真が掲載されてました。
http://www.artsjournal.com/postclassic/
夜の7時過ぎに、さっき、ジョンにあった同じ本屋にいき、ジョンともうひとりNY在住の若い女性作曲家のニシナ・アヤカさんとともに、アッパータウンにあるコロンビア大学のミラーシアターへタクシーで向かいました。このアヤカさん、なかなか可愛く、いまは、イメージをともなう音楽を作っているとのことでした。タクシーのなかで、どんなコンサートなのかが明らかになってきましたが、それは、長年、ジョンの器楽作品を演奏しているチェロのフレッド・シェリーFred Sherryのセレブレーションコンサートで、シェリーがリーダーをつとめる弦楽四重奏団が中心となって、ストラヴィンスキーやミルトン・バビット、チャールス・ウォーリネン、それにシェーンベルクが演奏されるというのです。まさに、コロンビア楽派だったのです。ホワイエから客席に女性の補助を受けながらゆっくりと歩いている老人をみかけました。ジョンがエリオット・カーターだと耳うち。僕は、思わず「本物?」といったら、いま、百歳とかで現役で作曲しているとのこと。そうしたら、ジョンがエリオット・カーターに近づいて、しばらく親しそうに、なぜか先生と生徒という感じだったんです。その後ろからデジカメでそのヒストリカルなシーンを撮影しました。
シェリー弦楽四重奏団は、しばしばジョンの曲を演奏してますが、ほとんど日本では、このようなコロンビア楽派につながるような精緻なジョンの音楽は紹介されていません。じつは、僕自身もジョンがもつシリアス系?の作曲とダウンタウン・ミュージシャンと狂演する姿がどうも重ならないんです。しかしながら、この多様性こそがジョンの本来の姿なのかなと、あらためて考えてしまいました。シェリー弦楽四重奏団の演奏は、とにかく凄い。これまで、このようなコロンビア楽派の音楽を聴くのを避けてきましたが、その殿堂であるまさにコロンビア大学のシアターで聴くと圧倒的な迫力と緊張感が伝わってきました。シェーンベルクもよかった。はやり、アッパー・ニューヨークという場所の力でしょうか。
そんな緊張感が続いたニューヨークをあとに、10月12日にサンフランシスコ空港に下り立ち、そのままバークレーに。サラがリザーブしてくれたカリフォルニア大学バークレー校のなかにあるウイメンズ・ファカルティクラブの宿舎にたどりつきました。ニューヨークでは、どんなに安いホテルでも2〜300ドルしますが、ジャパン・ソサエティのスタッフにお願いして、とにかく安いとこを探してもらい、ダウンタウンの日本人観光客専門のアパートメントタイプの「SAKURATREI」というあやしい名前のホテルに滞在しました。ここは、ほんとうに破格で一泊150ドルくらい。狭いのは覚悟ですが、でもカジュアルで交通の便がきわめていいのです。学生気分にもどった感じで過ごしてました。TZADIKのスギヤマさんからすごい近くに「Downtown Music」というレコード屋があるから、いってみたらと言われたので、そこを訪れたのですが、フリー系やコンテンポラリーのCDがところ狭しと並んでました。とうぜん、TZADIKレーベルはほとんど網羅。自己紹介代わりに「こんどTZADIKから新譜でますよ」といいながら、スタッフに名前を告げたら、いきなり向こうから「Patterns of Plants」といわれ、感激しました。
滞在先の話をしてましたが、このNYダウンタウンの「SAKURATREI」に比べて、UCバークレーのウイメンズ・ファカルティクラブは、まさに天と地の違い。構内の木々の深い林のなかにあるこのウイメンズ・ファカルティクラブは、1920年代に建てられた由緒ある建造物。「女性」という社会性を意識して、すでにあったファカルティクラブに対して組織され、この建物はシンボル的な場所だったとか。いまでは、男女に関わらず宿泊できるようです。ただし、メンバーの紹介が必要ですが。
僕の部屋は2階にあり、周囲が木々に囲まれ、せせらぎもきこえてきます。また、この建物から音楽学部の建物や図書館まで徒歩2−3分。まさにベストプレイス。さらに1階の大きな居間には、ニューヨーク・スタンウェイのピアノが。以前、サラがこの居間でコンサートをしたことがあり、そのときにも「植物文様」を演奏したそうです。そのとき、ここのディレクターがとても「植物文様」を気に入ってくれたとのこと。ますます、ここが好きになってきました。
バークリーに着いた日(12日)は、その夜、UCバークレー音楽学部博士課程で現代音楽を研究している日本の女子学生のカネダ・ミキさんがサンフランシスコのダウンタウンで行われる現代音楽のコンサートに連れていってくれました。会場に向かう途中で、メキシカンのファストフードに立ち寄ってのですが、久々の本物のブリトーに感激しました。コンサートは、ほとんど眠くて、すべての音楽が夢うつつのなかで響いてました。昨日(13日)は、さっそく図書館通い。新しい雑誌をざっとみたり、チェックしておいた本を探し回ったりしてました。また、今日(14日)は、午前中、サラがウイメンズ・ファカルティクラブにきて、そこのニューヨーク・スタンウェイを使って、サラの委嘱で作曲した《The Olive Branches Speak.》の練習に立ち合いました。それから、音楽学部の教授のボニー・ウェイドBonnie Wadeとランチ。音楽学者であるボニーは日本音楽も専門領域で、とくに日本の現代作曲家に関して長年リサーチしています。なんどか日本で会ってましたが、彼女の本拠地で会うのは初めて。じつは、UCバークリーの音楽学部では、最近、悲惨な状況に見舞われたとのこと。2人の40−50代の作曲の教授が相次いで亡くなったのです。死因はあまり口にはできませんがー。ボニーとは、作曲家における社会的な関わりや日本の作曲状況など、きわめて真面目な話に終始。その日の夜、サラが僕のウェルカム・パーティを開いてくれるとかで、彼女の自宅へ。サラの友人を中心に気楽な集まりでした。そこで、久しぶりにギタリストのデヴィッド・タネンバウムとパーカッションのウィリアム・ワイナントに再会。さっき、パーティから帰ったとこです。明日がバークレー最後の日ですが、いまだに時差ぼけでなかなか寝付けず、このブログを一気に書いたとこでした。写真などは、あらためてアップします。
次の日は、TZADIKのプロデューサーで実質的にこのレーベルを切り盛りしているスギヤマさんのお宅にリリースされたばかりの《Patterns of Plants II》のCDを受け取りにいきました。じつは、スギヤマさんとは、その前日、ニューヨークJFK空港で初めてお会いしたのですが、それは、スギヤマさんのお母様がニューヨーク観光に来られ、偶然、同じ日本からのフライトだったのです。
ソーホーにあるスギヤマさんのアパートにおじゃますると、玄関そばの納戸やリビングにはTZADIKのCDのパッケージが積み上げられていました。まさにCDに占領されている感じ。もう30年以上もニューヨーク生活とのこと。話題が出身校の話におよんで、中学がともに練馬区内で、どうも僕と隣の学区だったようです。奥様もいらしたのですが、奥様は自由学園出身。なぜかつながるのです。
コンサートは10日にあり、僕の《植物文様第四集》のバイオリンと笙のヴァージョンが石川さんと木村まりさんによって演奏されました。笙の響きのうえにバイオリンのノン・ヴィブラートの音によるフレーズが重なりながら、2分ほどの4つの短いパターンが演奏されましたが、僕自身、なぜか俳句を詠っているような印象を受けました。これは初めてのことでした。2人の演奏の緊張感が会場全体を包んでいるようでした。コンサートが終わってから、NY在住の日本のアーティストは、2人の演奏家の姿が植物のように映ったというのです。たしかに、石川さんの笙を手にもつ姿は、遠くからみると微動だにしません。木村さんの抑制のきいてボウイングもとてもしなやかにみえました。
木村さんとは初めてでしたが、鈴木理恵子さんと同じ年代でともに桐朋出身とか。すごく鋭敏な感覚の持ち主でした。午前中にゲネプロがあったのですが、そのとき木村さんと話しているうちに、「私、実際のバイオリンの音より一オクターブ低い音が出せるのよ」とのこと。実際にデモンストレーションをしてもらいました。弓をやや寝かせるようにして、ギィーっという感じで弦にプレッシャーを与えると、たしかに実際の音よりオクターブ低い音がきこえてくるのです。なにか「だみ声」のような響きなんですが、弦と弓との関係に特異な身体的な作用が加わって、このような音響現象が起こるようですが、まだ、科学的に解明されてないとのこと。コンサートの後半は、三人の作曲家による委嘱作が並んだのですが、日系の作曲家のケン・ウエノ君のは、笙、篳篥、龍笛の響きの微細な変容が面白かったけど、あとは楽器のオリエンタリズムのなかで終始した感じでした。
終演後は、いろんな作曲家が来てて、ラファエル・モステルに久しぶりに再会。スコット・ジョンソンとも話しました。ペメラZもいましたね。さらに、ここでもパネル・ディスカッション。でも、観客も多く残っていて、ほんとに熱心に質問するんです。このコンサートには、僕のTZADIKのCDが会場で販売されていたのですが、よく売れたとのこと。新譜のCDの先行きを暗示してくれればいいのですがーー。
ジャパン・ソサエティのコンサートにジョン・ゾーンが来るといったのですが、どうも忙しかったようで現れませんでした。コンサートの次の日の朝、ジョンにもし、時間があったら会えますかとメールを送ったら、すぐに返信。お昼に会うことに。じつは、今回、ニューヨークを訪れようと思ったのは、ジャパン・ソサエティの公演があったからというだけではなく、ジョンも久しぶりに会いたかったし、今回のCDリリースのお礼も直接言いたかったからなんです。Third Aveにあるセントマークスという本屋で待ち合わせ、近くのワシントンスクエアの公園でいろいろと話しているうちに、また、近いうちに《Patterns of Plants》のCDを出そうということにーー。別れ際に、今晩、コンサートあるけど来るということで夜、また、その同じ本屋で待ち合わせることに。でも、そのときは、どんなコンサートなのかよくわかってなかったんです。
ジョンと別れたあと、以前から約束してた作曲家で批評家のカイル・ガンKyle Gannに会うためにグリニッジ・ヴィレッジにある「Elephant and Castle」というレストランに向かいました。「象と城」という変わった名前は、17世紀のイギリスのチャールズ一世とスペインの王女the Enfanta de Castileとの破談の話が由来しているのこと。そこのオムレツはなかなかでした。ヴィレッジ・ヴォイス誌で長年、辛口の批評家で有名だったガンは、いまは、バード・カレッジで教えながら作曲や執筆活動を続けています。とくにナンカロウの詳細な分析の著作があり、ガン曰く、批評家はもともと音楽理論に弱いと思われがちだったが、このナンカロウの本でその通念を覆したかったとのこと。それと、純正調などのあらたな音律を積極的に紹介したり、自ら実践しています。僕が会いたかったのも、そのへんの音律のことをききたかったし、また、ピアニストのサラ・ケイヒルの友人だったので、会ってみたかったのです。
ガンとの話は、音律のことが中心。僕の平凡社の「響きの考古学」を差し上げたのですが、とうぜん、テキストは日本語なので、めくるだけですが、音律を説明するダイアグラムのところでは頷きながらみてました。いま、ガンは音律をテーマにした本を書く計画があるとのこと。これからの情報交換を約束しました。そのときに、TZADIKからのCDとクラヴィコードのCDをガンに差し上げました。ガンからも2枚のCDをもらいましたが、そのひとつは、ヤマハ製のディスクラヴィーアによるもので、ウェル・テンペラメントの「ヤング」に調律しているとか。そのCDのカバーは、収録曲の楽譜のイメージですが、ナンカロウのプレイヤーピアノのためのピアノロールのようでした。聴くのか楽しみ。ガンから後日、僕のCDのコメントを記したメールが届きました。とても好意的なので、うれしかった。それと、あのレストランでウエイトレスに撮ってもらった写真データを送ってほしいとのことでした。ブログに掲載したいとのこと。さっき、ガンのブログにアクセスしたら、われわれが会ったときのことや写真が掲載されてました。
http://www.artsjournal.com/postclassic/
夜の7時過ぎに、さっき、ジョンにあった同じ本屋にいき、ジョンともうひとりNY在住の若い女性作曲家のニシナ・アヤカさんとともに、アッパータウンにあるコロンビア大学のミラーシアターへタクシーで向かいました。このアヤカさん、なかなか可愛く、いまは、イメージをともなう音楽を作っているとのことでした。タクシーのなかで、どんなコンサートなのかが明らかになってきましたが、それは、長年、ジョンの器楽作品を演奏しているチェロのフレッド・シェリーFred Sherryのセレブレーションコンサートで、シェリーがリーダーをつとめる弦楽四重奏団が中心となって、ストラヴィンスキーやミルトン・バビット、チャールス・ウォーリネン、それにシェーンベルクが演奏されるというのです。まさに、コロンビア楽派だったのです。ホワイエから客席に女性の補助を受けながらゆっくりと歩いている老人をみかけました。ジョンがエリオット・カーターだと耳うち。僕は、思わず「本物?」といったら、いま、百歳とかで現役で作曲しているとのこと。そうしたら、ジョンがエリオット・カーターに近づいて、しばらく親しそうに、なぜか先生と生徒という感じだったんです。その後ろからデジカメでそのヒストリカルなシーンを撮影しました。
シェリー弦楽四重奏団は、しばしばジョンの曲を演奏してますが、ほとんど日本では、このようなコロンビア楽派につながるような精緻なジョンの音楽は紹介されていません。じつは、僕自身もジョンがもつシリアス系?の作曲とダウンタウン・ミュージシャンと狂演する姿がどうも重ならないんです。しかしながら、この多様性こそがジョンの本来の姿なのかなと、あらためて考えてしまいました。シェリー弦楽四重奏団の演奏は、とにかく凄い。これまで、このようなコロンビア楽派の音楽を聴くのを避けてきましたが、その殿堂であるまさにコロンビア大学のシアターで聴くと圧倒的な迫力と緊張感が伝わってきました。シェーンベルクもよかった。はやり、アッパー・ニューヨークという場所の力でしょうか。
そんな緊張感が続いたニューヨークをあとに、10月12日にサンフランシスコ空港に下り立ち、そのままバークレーに。サラがリザーブしてくれたカリフォルニア大学バークレー校のなかにあるウイメンズ・ファカルティクラブの宿舎にたどりつきました。ニューヨークでは、どんなに安いホテルでも2〜300ドルしますが、ジャパン・ソサエティのスタッフにお願いして、とにかく安いとこを探してもらい、ダウンタウンの日本人観光客専門のアパートメントタイプの「SAKURATREI」というあやしい名前のホテルに滞在しました。ここは、ほんとうに破格で一泊150ドルくらい。狭いのは覚悟ですが、でもカジュアルで交通の便がきわめていいのです。学生気分にもどった感じで過ごしてました。TZADIKのスギヤマさんからすごい近くに「Downtown Music」というレコード屋があるから、いってみたらと言われたので、そこを訪れたのですが、フリー系やコンテンポラリーのCDがところ狭しと並んでました。とうぜん、TZADIKレーベルはほとんど網羅。自己紹介代わりに「こんどTZADIKから新譜でますよ」といいながら、スタッフに名前を告げたら、いきなり向こうから「Patterns of Plants」といわれ、感激しました。
滞在先の話をしてましたが、このNYダウンタウンの「SAKURATREI」に比べて、UCバークレーのウイメンズ・ファカルティクラブは、まさに天と地の違い。構内の木々の深い林のなかにあるこのウイメンズ・ファカルティクラブは、1920年代に建てられた由緒ある建造物。「女性」という社会性を意識して、すでにあったファカルティクラブに対して組織され、この建物はシンボル的な場所だったとか。いまでは、男女に関わらず宿泊できるようです。ただし、メンバーの紹介が必要ですが。
僕の部屋は2階にあり、周囲が木々に囲まれ、せせらぎもきこえてきます。また、この建物から音楽学部の建物や図書館まで徒歩2−3分。まさにベストプレイス。さらに1階の大きな居間には、ニューヨーク・スタンウェイのピアノが。以前、サラがこの居間でコンサートをしたことがあり、そのときにも「植物文様」を演奏したそうです。そのとき、ここのディレクターがとても「植物文様」を気に入ってくれたとのこと。ますます、ここが好きになってきました。
バークリーに着いた日(12日)は、その夜、UCバークレー音楽学部博士課程で現代音楽を研究している日本の女子学生のカネダ・ミキさんがサンフランシスコのダウンタウンで行われる現代音楽のコンサートに連れていってくれました。会場に向かう途中で、メキシカンのファストフードに立ち寄ってのですが、久々の本物のブリトーに感激しました。コンサートは、ほとんど眠くて、すべての音楽が夢うつつのなかで響いてました。昨日(13日)は、さっそく図書館通い。新しい雑誌をざっとみたり、チェックしておいた本を探し回ったりしてました。また、今日(14日)は、午前中、サラがウイメンズ・ファカルティクラブにきて、そこのニューヨーク・スタンウェイを使って、サラの委嘱で作曲した《The Olive Branches Speak.》の練習に立ち合いました。それから、音楽学部の教授のボニー・ウェイドBonnie Wadeとランチ。音楽学者であるボニーは日本音楽も専門領域で、とくに日本の現代作曲家に関して長年リサーチしています。なんどか日本で会ってましたが、彼女の本拠地で会うのは初めて。じつは、UCバークリーの音楽学部では、最近、悲惨な状況に見舞われたとのこと。2人の40−50代の作曲の教授が相次いで亡くなったのです。死因はあまり口にはできませんがー。ボニーとは、作曲家における社会的な関わりや日本の作曲状況など、きわめて真面目な話に終始。その日の夜、サラが僕のウェルカム・パーティを開いてくれるとかで、彼女の自宅へ。サラの友人を中心に気楽な集まりでした。そこで、久しぶりにギタリストのデヴィッド・タネンバウムとパーカッションのウィリアム・ワイナントに再会。さっき、パーティから帰ったとこです。明日がバークレー最後の日ですが、いまだに時差ぼけでなかなか寝付けず、このブログを一気に書いたとこでした。写真などは、あらためてアップします。
by mamorufujieda
| 2008-10-15 20:04
| 近況